№25(2011年)
横浜市青葉区の寺家ふるさと村です。ここには、横浜市内とは思えないようなこんな里山が残っています。
横浜市の北西部、青葉区にある寺家ふるさと村は、東京都町田市と川崎市麻生区に隣接した里山です。水田が幾筋もあり、いくつもの溜め池が点在する昔ながらの横浜の田園風景が色濃く残っているところです。
寺家町は、古代より恵まれた環境にあり、中央の台地には縄文・弥生時代の住居跡として、畑を少し掘れば、至る所に土器片が散見されます。古墳時代から人が居住していたようで、お伊勢森古墳の西側には横穴古墳もあります。
地家の名前は「吾妻鏡」の中に見られ、鎌倉時代はこの辺り一帯は源頼朝に従った鴨志田一族の領地でしたが、畠山重忠と共に倒れ、後に入ったのが、現在の大曽根、金子一族の先祖です。
村の水田は天水に依存し、各谷戸の奥には先人達の努力により、用水池が6箇所造られていました。農産物は、米98石の他、大麦、小麦、粟、ヒエ、ソバ、ゴマ、生糸、醤油、桑が記録されており、明治から大正時代は養蚕が盛んとなりました。
村は明治4年都筑郡寺家村と称し、明治21年の合併で中里村寺家となり、昭和14年の横浜市編入に至っています。
しかし、都市開発が隣町にまで押し寄せるだけでなく、小規模な農家が多くを占めるこの地区では、就業者の減少・高齢化が進み農業の先行きが見えなくなってきたことから、横浜市による構想のもと、良好な田園景観を有する農業地帯を舞台に、その地域の農業振興とともに、山林や農地という自然環境の保全活用を合わせた”ふるさと村”づくりが進められました。
寺家散策を楽しみたい方は、こちらの寺家ウォーキングマップもご利用ください。
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